渡辺美里と小室哲哉の融合があの名曲を生んだという話

「My Revolution」など数多くのヒット曲を持つことで知られる歌手の渡辺美里
もうデビュー34周年だそうです、BUCK-TICKより2年先輩ですね。


20年にもわたって行われた西武球場でのスタジアムライブ
あまりにも声の圧力がありすぎてスピーカーを壊してしまったこともあるんだとか・・・
でもテレビとかあんまり出ない人なので結構謎ですよね。


同期は、米米CLUB、少年隊、TUBE、中山美穂、南野陽子らがいて、
歌謡曲全盛の時代に女性のロック歌手はめずらしかったです。

渡辺美里はデビュー以前から少し他のミュージシャン(あえてアーティストとは言わない)
とは大きく違っていたといいます。


「ミス・セブンティーンコンテスト」のオーディションを受けるのだけど、その応募総数がなんと17万人!!
出場者の多くが、当時流行っていた歌謡曲を歌ったのに対し、
渡辺美里の選曲はEPOの「土曜の夜はパラダイス」。


選曲からしてインパクトを与え、さらに圧倒的な歌唱力で審査員の高い評価を得ることになり、
「最優秀歌唱賞」を受賞しました。

10歳の時から歌手を目指し、発声練習・ダンスレッスンを行いながらデビューの手がかりを探っていたそうです。


そんなときSONYが主催する『ミス・セブインティーンコンテスト』を受けたそうです。


そのオーディションに参加する人はほぼアイドルになるような可愛らしい面々が占めており、
「優勝はムリだと思うけど、きっと誰かが自分の歌に耳を傾けてくれるはず」と、
歌謡曲ばかりが流れる中、彼女は『土曜の夜はパラダイス』EPO を選曲。


主催者が「今回は特別に歌唱賞という賞を設けました」と発表されたとき、きっと私のことだと思ったそうです。


彼女の自信を裏付けるエピソードですね。


さらに「好きな歌手は誰ですか?」と質問され、セッ◯スピストルズを挙げたんだとか。


歌謡曲全盛期ではかなり浮いていたことだと思われます。

オーディションを経て、ソニー系列のEPIC・ソニーに所属。


このレーベルは当時、ロックムーブメントを起こそうとしていたから、最高の環境だったことでしょう。


85年5月にケニー・ロギンスのカバー曲「I’m Free」でデビューを果たします。


そう、「My Revolution」がデビュー曲ではないんですよ!
ファーストアルバム『eyes』もキャッチコピーが「ロックを母乳に育ちました」でしたから、
歌謡曲とアイドルがチャートをにぎわしていた時代では相当衝撃的だったことでしょう。

渡辺美里がトップアーティストへの仲間入りをはたすきっかけになったのが、86年発表の4thシングル「My Revolution」です。


当時音楽を聴き始めて数年、流行りの曲が中心だったわたしも、この曲にはキュンとさせられました。


あの切ないメロディは何百回、何千回聴いても飽きることがありませんね。


石野陽子が出演していた『セーラー服通り』の主題歌として起用され、初のチャート1位を獲得します。


売上枚数は約45万枚を突破!!当時でこの数字はすごいです。


歌謡曲全盛の時代に、なぜ彼女の曲はヒットしたのでしょうか。


「My Revolution」は、TM NETWORKとしてデビューして間もなかった小室哲哉が他のアーティストに初めて提供した楽曲です。


渡辺美里と小室哲哉という2大才能の融合がこのすばらしい曲を作り上げたんですね。


あぁ~なんか書きながら曲聴きたくなっちゃったんで、細かなエピソードはググってください←丸投げかいっ!